第一課 イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの誕生、クリスマスの出来事です。クリスマスは、喜びの時ですが、同時に感謝と祈りの時でもあります。
「感謝の時」と言うのは、クリスマスは、神さまの独り子であるイエスさまが、この世界と私たち人間を罪と死から救うためにこの世界に来て下さったという出来事だからです。イエスさまは救い主(キリスト)だったのです。ですから、聖書は、クリスマスの出来事を、「まことの光が世に来た出来事だ」(ヨハネ福音書1章)と記しています。闇の力が敗れる時です。まだ、私たちの周囲には悪と闇の力が我が物顔にふるまっているように見えますが、決定的な戦いは終わっているのです。私たちは最後の勝利の時を目指して歩んでいるのです。
クリスマスを「祈りの時」と言うのは、このイエスさまが私たちの罪を赦すために、ご自分の命を十字架に捨てて下さった方でもあったからです。祈りなしに喜ぶことは出来ません。
聖書はまた、クリスマスはインマヌエル(神はわれわれと共にいる)という出来事だとも述べています(マタイ福音書1:23)。イエスさまご自身、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束して下さいました(マタイ28:20)。神さまの独り子であるイエスさまが、「いつも共にいて下さる」ということは、まさに神さまが共にいて下さるということに他ありません。ここにクリスマスの喜びがあります。
それでは、「われわれと共に」とは誰のことを指すのでしょうか。ルカ福音書を読むと、イエスさまの受胎を知らされたマリアは、戸惑い、恐れていましたが、最後には「神さまは、身分の低い、この主のはしためにも目を留めて下さった。私は何と幸いな者だろう」と神さまの愛の深さ、広さに心からの感謝をささげ、賛美の歌を歌っています(ルカ福音書1:46以下)。また夜通し働かなければならない羊飼いたちも、天使から救い主イエスさまの誕生の喜びの知らせを聞いて、イエスさまの許に急いで行き、イエスさまに出会い、心から神さまをあがめ、賛美しました(ルカ2章)。また、遠く民族の違う東の国の占星術の学者たちも、星に導かれてイエスさまの許にひれ伏すことが出来ました(マタイ2章)。
つまり、インマヌエル(神はわれわれと共におられる)の出来事は、男女、身分、職業、民族の違いを越え、すべての人に光を与える出来事であったのです。イエスさまは、今も私たちすべての者の傍らにいて下さる方なのです。クリスマスは、まさに喜びと感謝と祈りの時なのです。