厳しい冬に生まれる優しさ|優しさは人生の逃れの道

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「12時間の降雪量が国内観測史上最大の120cm」、十勝地方が豪雪に見舞われるのは珍しく、中心地帯広市の雪景色の映像を見ながら、30年程前に私もその地で体験した豪雪のことを思い出していた。

朝、目覚めた時には既に4,50㎝積雪していた。朝食もそこそこに、車7,8台停められる駐車場の端から始めたが、半分ほど終えて後ろを振り向くと、また数十センチの積雪、心が折れそうになったものの、翌日は日曜日なので、駐車スペースを確保しておかなければならなかった。昼過ぎになっても雪は降りやまず、二度目の雪かきを行っていたら、会員さんが来てくださり、何とか日曜日に備えることが出来たが…。

翌日の夕方、駐車場とは反対側の私道(半分は教会敷地)の雪かき。月曜から札幌で会議があるために、何としても終えておかなければならず、夕食後も雪かきを続けた。半分ほど終えた頃、少し休憩しようと自宅玄関先でコーヒーを飲んでいた時、ドドドッ~と大きな音。会堂の屋根の雪が一気に落下してしまったのだ。慌てて玄関を飛び出すと、隣家のご婦人が落下した雪をじっと見つめておられた。「屋根の雪が落ちてしまって、驚かせてしまいスミマセン」と声を掛けると、ご婦人は私の顔をじっと見て「さっきまで雪かきの音が聞こえていたので、まさか下敷きになったのではと心配になって、慌てて出て来たんです」と。そう、実にタイミングよく休憩をとったようで、あのまま続けていたら、雪に埋もれてしまっていたのは確実で、命すら落としていたかもしれなかったのだ。素直に「神様ありがとう!」であった。

雪は少ないとはいえ帯広も雪国、厳寒の時は零下20度を超える。道路は凍てつき、時には雪だまり状態となる。動けなくなる(スタック)こともしばしばだが、見知らぬ人が車を降りて脱出を手伝ってくれ、車中の人も動き出すまで文句を言わずにひたすら待ってくれる。「厳しい冬が人を優しくする」、そんな光景があちこちに生まれる。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」(1コリ10:13)コロナ禍中、感染症という苦難を世界中が味わったが、私たちの日常を支えてくださる人々に気付かされ、絆や優しさを取り戻そうとした。あの優しさも、そして厳しい冬に生まれる優しさも、神が与えてくださる「逃れの道」のひとつなのかもしれない。

神が御望みになっておられる平和を取り戻すために、今こそ「優しさ」という逃れの道を見出さなければならないのではなかろうか。