優先すべきは何か|検査のお勧め
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総会(1月26日)当日はオニギリの昼食・・・の筈だったが、私に用意されたのは、「バナナ二本、何も塗られずミミを落とされた食パン二枚」。会堂の最前列で、皆さんに背を向けて黙々と食すのみ。頭の中は「何でこんな大事な日の翌日に、大腸検査の予定を入れてしまったんだ」という後悔が渦巻いていた。
初めて大腸検査を経験したのは30年程前、帯広教会にいた時であった。いきさつは忘れてしまったが、体にとって必要だということ以上に、下剤を大量に飲まなければならない苦痛と検査用着衣を着た時及び検査中の羞恥心だけが強烈に記憶された。10年程前にも大腸にポリープが出来て、1日入院し「あの検査と除去」をしてもらったが、最初の時の記憶が蘇るだけだった。そして2年前、血液検査後にかかりつけ医から「大腸に疑わしい数値が見られるので、総合病院で検査」と指示され、気持ちがブルーに。依然拭われない気持ちを抱えたまま受けた検査の結果、「ポリープに腫瘍がある、良性か悪性か詳しく調べます」と告げられた。検査の結果は二週間後。いろいろなことを考えた、「悪性だったら、どんな風に受け止めたらよいのだろうか、若くして亡くなった牧師たちは、告げられた時にどんな気持ちだったのだろうか」と思うと同時に、「かかりつけ医が気付いてくれて検査を受けたから判ったのだ、苦痛や嫌悪感よりも自分自身の未来のために検査してもらうことの方が何よりも優先だナ」と、やっと身をもって知らされた。(検査結果は良性であった。)
だから市川を離れる前にもう一度検査してもらうべく1月半ばに診察を受け、「1月27日なら検査できます」と言われて、何も考えずに予定をいれたのだったが、帰宅してから気付いた「検査前日は流動食、その日は教会総会の日!」と。その結果が「バナナ二本と食パン二枚」の昼食だったという訳だ。でも「明日の元気のための検査」を何よりも優先すれば、多少の苦痛も嫌悪感も退いていくということを、30年もかかってやっと悟った私であった。
「安息日に麦の穂を摘んで食べていた弟子たちを見て、『安息日にしてはならない事(穂を摘む=労働)をした』とファリサイ派の人々が非難した。するとイエスはダビデの話をした後、『安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない』と教えられた。」(マルコ2:23~28等要約)「神を愛しと、人を愛する」これがイエスが最も大切にされたことだったからこそ、麦の穂を摘むことの優先性を諭されたのだ。
神に仕え、人に仕えるために、検査もしっかり受けて務めを果たしましょうネ。