一枚の写真が連れて来るもの|よみがえる記憶

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「よそ見しないで、カメラを見て!」…「顔の前に手を置かないで!」…、私はいつものように最後列の中央で、集合写真にお付き合い。保育士たちと園児との数分間の格闘(?)を経て、「まぁ、いいか」と撮影は終了。節目節目の保育園の集合写真に、チャプレンとして参加している時には必ず一緒にカメラに納まってきた。特に今年は最後ということもあって、感慨深い思いで撮影の場に立ち続けてきた。一枚の集合写真はお蔵入りしていたとしても、そこに詰まった沢山の想いや出来事は、蔵から出せば数十年後でも蘇るものである。成長した子どもたちが保育園時の集合写真を手にして、聖書の話や神様のことを思い出し心を元気にしてくれたら嬉しいが。

私にはいつも思い浮かべる集合写真が二枚ある。一枚は小2年の時の「日帰りバス遠足」の集合写真で、そこには私の母と弟も一緒に映っており、他に保護者はいない。恐らく保護者を代表して付き添ったのだろうけど、バス遠足も母と弟が同行したことも記憶からは全く消えてしまっている。しかしその写真を見る(思い出す)度に、母が私たち子どもに向けていた深い思いが感じられて嬉しいし、同時に「母を悲しませてはいけない」と私の歯止めになっている写真でもある。

もう一枚の写真は、牧師となって最初の休日に母教会(九州の久留米教会)を訪ねた時の集合写真である。北九州の黒崎教会(1993年に活動停止)が私の初任地で、結婚して一ヶ月の連れ合いに母教会を見せてあげたいと出掛けた。牧師館を訪ねると、午後から地区の牧師会があり、米国のお客さんも出席するので一緒に行こうと誘われた。普段着で出かけていた私は、即座に断ったのだが、是非と請われて夫婦で参加した。その時に撮った集合写真には、スーツの諸先生方に交じってセーター姿の私たち夫婦、そして誘ってくださった先生も同じくセーター姿の普段着で写っている。世話役だった先生のさりげなく、しかし深い配慮の姿を時折思い出しては、「この地で生きている人々と同じ所に立っているのか」と問いつつ日々を過ごしてきた。

聖書の時代には写真はない。しかし、想いを何とか残そうと文書に綴られ、綴られた文書から受けた想いが聖画となっていく。いずれも、大事な事を伝えたい、遺したいという思いがあるからだ。一枚の写真もまたそのような思いが伝わるものでもある。ただし、電子データに保存しているだけでは、その思いは伝わらないし思い起すこともない。溜まった大量の写真データから、大切なものはプリントアウトしておいた方がいいだろうなぁと思うこの頃である。