モヤシの旅|「私には無理」を励ます神への信頼

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今夏2度目の学童キャンプに同行。キャンプ場に向かって車を走らせていた私のスマホが鳴る、「今、どちらですか?」「もう直ぐ到着できると思います」「先生、申し訳ありませんが、どこかでモヤシを8袋買ってきて欲しいんです、冷蔵庫に忘れてきてしまって」と。キャンプの定番メニュー「バーベキュー&焼きそば」に使うモヤシを忘れた事を理解。「何とかしましょう。」昨年と同じ場所での施設学童キャンプ。あそことあそこにお店があったと思い出し立ち寄るも、特産品は売っているがモヤシは皆無。店員さんに「この辺りでモヤシが手に入るお店は在りますか」と尋ねると、「ふもとの町まで行かないと無いですねぇ」とあっさり!覚悟を決めて20㎞弱引き返すことにした。途中再び電話、「先生、お昼のお弁当、先に食べてます、モヤシの旅、宜しく」と。しばらくしてまた電話、「今、どちらですか、開会礼拝が始まりますが施設長にお願いして良いですか?」たかがモヤシ、されどモヤシ、こうなればどうしても見つけ出さねばと私も意地になる。礼拝そっちのけでモヤシを探し回るなんて、チャプレン失格か、いやいや子どもたちの為だもの、神様もお許しくださるだろうと勝手に解釈して、安価だがその瞬間は実に高価に見えたモヤシの旅。何とか手に入れて1時間半遅れでキャンプ場に到着。予定外のモヤシの旅で、その日の精魂は使い果たしてしまった、情けない。

人里離れた所に大勢の人。イエスの話を聞こうとやってきたのだ。時もたち、弟子たちは人々を解散させようとイエスに進言するが、イエスの答えは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」。(マルコ6:34以下)当然弟子たちは「私たちが!!」と反論する。仮にお店があったとしても不可能なことは一目瞭然。「そんな無茶な!無理に決まっているじゃないか!こんな無理難題をふっかけてくるなんて、この人は何て物知らずなんだろう!」ついには「こんな非常識な人に従っていて大丈夫か」等々。私には「車」という武器があったが故に引き受けたが、「あなたがたが・・」と言われた時の弟子たちの困惑振りは容易に想像することができる。「私たちには無理」そう言って諦めることが多い私たちに、神に委ね信頼し続けることの大切さを教えようとされたのかもしれない。「あの時、私たちの思いを超えて主が十分に満たしてくださったではないか」、弟子たちは鮮やかな記憶として蘇(よみがえ)らせ人々に伝えた出来事だったのだろう。

私にとって最後の施設学童キャンプ。はなむけにいただいた「モヤシの旅」、語り継ぐほどの事ではないが、記憶にはしっかりと刻まれた。楽しいキャンプに感謝!