あの日の記憶|呼び戻せ、喜びの記憶を

(169)

「こんな素敵な音色だったのか!」、先日行われたフルートとピアノのコンサート中、ずっと思い続けていた。4年前にもお二人に依頼して開催した、無観客で。本来なら2020年5月に開催予定だったが、緊急事態宣言が出されて開催できず、11月に延期しての開催であった。しかしコロナ感染症予防のためには無観客で開催するしかなく、お二人の了解を得てなんとか開催にこぎつけたコンサートであった。それなのにあの日の事を思い出そうとしても、数名の教会員のみがいる会衆席の前で、精一杯の演奏を続けてくださったお二人の姿しか思い出せないのであった。たかだか4年前(正確には3年半前)ではないかと思うのだが、曲目も音色もどうあがいても思い出せなかった。いやコンサートの間だけでなく、4年前に開催した直後から、私の記憶に何も刻まれていないことにずっと気付いていた。だから、何とか在任中にもう一度、お二人に来ていただきたいと願い叶った今回のコンサートであった。フルートとピアノ、楽器の大きさからすれば「屈強な人とか細い子ども」、なのにお二人の音色はバランスよく、優しさの中に力強さもあって実に心地よい。「こんなに素敵な演奏なのに、なぜ私の記憶に全く残っていないのだろう」、コンサートの最中からそのことをずっと考えて来た。

人は様々な情報を、「海馬」と呼ばれる部位で記憶ができる形状に変換し、その中で必要と判断されたものや印象に残ったもののみが大脳皮質と呼ばれる大きな貯蔵庫に送られ保存される。保存されたものは、内側側頭葉という部位が働くことによって記憶として思い起こすのだという。(HP:psycho-psycho.com「記憶とは」より)この記憶の仕組みからすれば、前回のコンサートの折、海馬に入った全ての情報の中から大脳皮質に送られたものの中にお二人の演奏のことはなかったということになる。何と失礼なことをしたものか、主催者として恥じ入るばかりであるが、今回の開催にご協力いただいたことで、失った記憶も少しは取り戻せる…かな(?)、感謝したい。

12年間も出血が止まらず苦しんでいた女性は、「安心して行きなさい、元気に暮らしなさい」(マルコ5:34)という主の言葉を、記憶から幾度も呼び戻しただろう。弟子たちもまた、嵐の中で船に乗り込まれた主から聞かされた「安心しなさい、恐れることはない」(同6:50)という言葉を、記憶から幾度も呼び戻したことだろう。私たちもまた幾度も呼び戻す記憶があるはずだ。辛い記憶もある、でもそれ以上に慰めと喜びを与えてくださる神の言葉の記憶が幾度も呼び戻されることを願ってやまない。