主が加えて与えられる|「備えてくださる」と信じる信仰

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ルーテル教会では教会暦の顕現後最終主日(今年は2月4日)を「JELC(日本福音ルーテル教会)宣教の日」と定めている。アメリカのルーテル教会は1887年11月に日本伝道を決定したが、やっと具体化したのは5年後であった。1892年2月サンフランシスコから出帆し、横浜港に降り立ったのがシェーラー師であった。1893年4月2日復活日に佐賀で、やっと借りることができた廃屋に近い家屋で、ルーテル教会最初の礼拝が行われた。出席者はルーテル教会信徒4名、応援のために出席した日本基督教会信徒数名、そして一握りの屋外からの見物人に見守られての礼拝であった。(日本福音教会百年史より)

シェラー師は日本についての多少の知識は有ったようであるが、言葉も環境も全く異なる世界、何を持っていけば良いかすら分からなかっただろうに、それでも「日本に行こう」と彼に決断させたものは一体何だったのだろうか。「そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた。」(マルコ6:6~9)不信仰の世界であってもイエスが弟子たちを送られ、然もただ神にのみ依り頼んで向かうようにと命じられたことを思い起こしていたのだろうか。あるいはまた、エサウの怒りから逃れ家を離れたヤコブに、「主の山に、備えあり」(創世記22:14)と語ってくださった神の言葉を思い出したのだろうか。

「常備薬は、無くなる直前ではなく10日位の余裕をもって貰いに来なさい!」と、かかりつけ医が珍しく私に声を掛けてくださった。10年以上も受診し続けて初めての事だ。能登半島地震があったからだと直ぐに理解した。細やかな配慮をしてくださる医師に出会えたことは幸いである。医師だけではない、支えてくださる多くの方々がいる。そうか、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)この約束こそが、私たちが今を生きる力の源であり、シェラー師が未知の国日本に行こうと決心した根拠なのではあるまいか。

「神の国とその義を、先ず第一とするなら・・・」と、若い頃に歌ったゴスペルソングが浮かんできた。ただただ齢を重ねてきた気がしていたが、私に必要なものはちゃんと主が加え与えてくださっていた歩みだったのだと、改めて心に刻んでいる。