ツリーは欠かせない?|装飾から伝えたい大切なメッセージ

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「今年も枯れてしまったか」と一昨年夏、庭のモミの木を見ながら私は溜息をついた。「クリスマスツリーは生木で」と決めていた訳ではないけれど、それが一番似合うとずっと思ってきた、市川に赴任してからは。赴任した翌年、経緯は忘れたがツリー用のモミの木を私が購入することになった。気軽に引き受け、かなりの数の園芸店を回るも探せなかった。数日後、日用品を買いに近所のホームセンターに行き、何気なく園芸コーナーを覗いたら、そこにツリーには十分な大きさのモミの木が!だが、幹が根元から二本に分かれている。多分それが原因で売れ残ったのだろうが、形はどうであれ「モミの木はモミの木、何とかクリスマスに間に合った」というのが本音の私は、躊躇せず購入した。1年経ち2年経ち、二本の幹のモミの木は、「クリスマスの顔」と思えるほど会堂の聖壇に馴染んでいった。時期が終わると、教会の庭の木陰が多い場所に植えた。こうして10年程たった頃の夏、急に枯れてしまった。「かなり成長して会堂内に入れるのは大変だなぁ」と私が思い始めたのを察したのだろうか・・・、ゴメンね。

翌年、再びモミの木探し。知り合いの花屋さんを通して購入するも、毎年夏になると枯れてしまう。ある年は手に入らずに根がない生木で間に合わせたが、それも可哀想に見えて1年で止め、遠方の園芸店に売られていることが分かってからは片道1時間かけて購入に。「今年こそは枯れないで!」という願いもむなしく惨敗。そして冒頭のため息の末に行きついたのが、「生木に見える模造品のツリーを密かに購入」であった。公に周知しなかったのは、生木に拘(こだわ)った私のつまらない意地でしかないが。

「ツリーを飾るのは常緑樹が永遠の命を意味する」(賀来周一著:「サンタクロースの謎」より)からということで、ついつい生木に拘ってしまうのだが、模造品であろうとその真意が伝われば良いのである。クリスマスの装飾品の数々も同じことで、クリスマスになくてならないものは装飾品の中にはない。大切なことは、「あなた(がた)のために救い主がお生まれになった」(ルカ2:11)という事実だけであり、ただその一事を伝えんがために、ツリーやクランツが飾られ、降誕劇が演じられるのだということを忘れないでいたいと、模造品のツリーを眺めながら心に刻み直している。

今年で3年目になる模造品のツリー。何も言わずとも模造品だと周知されたと思っていたが、保育園の子どもたちが降誕劇の練習に来た際、同行してきた保育士から「模造品だったんですね!知らなかった」と言われて、私はニンマリ。ツリーのことなど気にしないで、子どもたちの聖誕劇をしっかり見てあげましょうネ。