マスクを・・・

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「この職員は、この子は、こんな顔立ちだったのか!」、そんなことを思いながらキャンプの日々を過ごした二週間前。そう、2020年4月以降、新たに施設の職員や学童クラブの利用者となった子どもたちとは、(予防には特に気を付けてきた施設だから仕方ないのだが)マスク着用でしか会話したことがなかった。いつの間にか、それが当たり前であり、当たり前すぎて何の疑問も持たなくなっていたが、二週間前のキャンプ場はほぼ隔離状態の環境。まして事前の検査で陰性という条件が整ったのだから、当然マスクは不要。マスクを外したキャンパーたちの顔を、初めて会う感覚で見詰めた。さらにまた、マスクを外した彼らの個性が、記憶としてしっかり残っていくことが分かった。たまに、しかも短時間しか会うことがないので、全員マスクでは個性として心に刻むという作業を止めてしまっていたのかもしれない。ともあれ、マスク嫌いな私にとっては外す好機、新鮮な空気を思いっきり吸い、(人前でマスク無しに)普通に会話を楽しめた。ただ、「マスクを外せなくなった子どもたち」がいることも確かである。どのように子どもたちの心のケアを行っていくのか、今後の課題であろう。

マスク着用に関し、最近次のような厚労省の広報を耳にする。「屋外では人と近くで会話する時以外では、マスクは必要ありません。徒歩や自転車での通勤など、静かに人とすれ違う場面、散歩やランニングのときは、マスクは必要ありません。特に気温や湿度が高い場合、熱中症を防ぐために、屋外ではマスクを外しましょう。ただし通勤ラッシュ、病院内、高齢の方に会う時は、マスクを忘れずに。詳しくは厚生労働省のホームページで。」まるで幼児に教えるような広報だと思った方もいるだろう。こんな風に言ってもらわなければならない程、私たちの心は「マスクに支配されている」と見られているのかもしれない。顔立ちや容姿を意味する「マスク」という言葉は、「仮面」という意味でも用いられる言葉である。鼻や口が覆われていることで、いつしか本来の自分の心まで覆い、まさに「仮面」の人格に安住してしまっているのかもしれない。そう思うと、厚労省の広報も優しく「本当の自分を取り戻しなさい」と呼び掛けてくれているように思えてきた。

感染症の時代、「マスク」が不可欠だということも理解する。しかし、せめて心からはマスクを外したいし、仮に心にマスクをするのであれば、「キリスト者」というマスクで覆われたいものだ、たとえそれが「仮面」であったとしても。

二週間、休暇を頂いて出掛ける。どれ位、マスク無しで過ごせるだろうか?!