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 2か月前に教会でコンサートが行われた折、プログラムを作成しながら気付かされたことがあった。四人の出演者のプロフィールをプログラムに書き込みながら、見やすいように背景に色を付ける。男性お二人には明るいブルー、女性お二人には少し濃いめのピンクと色を付けた途端、無意識の内に男性は紺・黒系、女性は赤・ピンク系としてしまう自分がいて、見えない壁を持ち続けていたことに気付いた。それは化粧・ファッション・髪型等々、沢山のことに及んでおり、無意識の内に築いてしまっていたジェンダーに対する高い壁が見えて、今改めて「長年の経験から培われたものだから仕方ない」と諦めるのではなく、ジェンダーレス(性差を無くす)の意識を育てることこそが、見えない壁を取り壊すことになると思いを新たにしている。
 ジェンダーについてだけではなく、壁は様々な所に、しかも容易に築かれる。コロナ感染症が広がりを見せ始めてから、私たちは「マスク着用」を必携として過ごしてきた。そして2年半、2週間前のこの欄に政府の「マスク着用に関する判断基準」について記したが、その基準を素直に受け入れ実行しにくくしている要因のひとつに、「マスク非着用への壁」を築いているからではなかろうか。元々マスクに対する抵抗感が他国よりなかったということが、「非着用への壁」を即座に、そして堅固にしてしまったようだが、気掛かりなのはマスク越しのコミュニケーションがもたらす弊害である。先生の、友だちの、そして同級生・同僚の顔が見えない中でのコミュニケーションには限界があるだろうし、口話による聴覚障碍者の方々とのコミュニケーションは不可能に近い。「共に集う」ことを大切にしてきた私たちの教会、マスクという壁を外して心からの笑顔で集える日はいつ来るのだろうか。
 父親に身代の半分を分けてもらった弟は、一旗揚げようと家を出た。彼の心に家から離れたいと思うほどの壁が存在したからだろう。しかし、あっという間に財産を使い果たし、豚(イスラエル人にとって汚れた家畜とされている)の世話をさせられ、その餌を食べたいと思うほどに落ちぶれてしまった。後悔した彼は、壁を壊して家に戻る決心をするが、まだ家までは遠いのに父は彼を見つけ駆け寄り、家にいれて「息子が戻った」と宴会を開いて祝った。(ルカ15章)家を出て行ったにもかかわらず、父は諦めることなく彼の事を思い、待ち続けてくれた。その愛が彼の壁を壊してくれたのである。父、即ちそれが神の愛である。
 容易に壁を作ってしまうが、神を思い起す信仰がその壁を取り除いてくれるはずだ。