初代王サウル
(71)
先週取り上げたサウル王、「もったいない」と供え物を持ち帰っただけで王の座を退けられたが、実はサウル退位の理由はもう一つある。その前に、彼の生涯を少し辿ってみよう。ペリシテとの戦いに苦戦していたイスラエルの民は、先見者(預言者とほぼ同じ)であり祭司のサムエルに「王」を立てるように求めた。神が選ばれたのはサウルであったが、彼自身は「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか。」(サムエル上9:21)と固辞するが、サムエルは彼に油を注いで王とした。王となったサウルはペリシテと勇敢に戦い勝利をもたらしたが、就任2年目にペリシテの大反撃が始まった。兵士がうろたえ始めたので、サウルは神の力を求めるために神へ犠牲(礼拝)を捧げようとしたが、祭司サムエルの到着が遅れ、兵士もサウルの元を離れ始めたので、彼はサムエルに代わって犠牲を捧げた。犠牲を捧げ終わった頃サムエルが到着し、サウルが行ったことに「愚かな事、主がお命じになったことを守らなかった」と指摘した。犠牲を捧げることは祭司の務めであって神聖なものであり、最も拠り所とすべきものであったのに、サウルはそれを軽んじたのである。勝利が続く内に彼の中の「小さな者であり、弱い私を神が支えてくださるなら」という思いは消えてしまったのかもしれない。
「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(2コリント12:5)と記したのはパウロであった。理由についても彼は「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』」(2コリント12:9)と記し、弱さは主が働かれる場であり、弱さを知る時にこそ、主の恵みを十分に受け取ることができることを教えているのである。神のそのご意志は、貧しい大工ヨセフとマリヤを両親とし、旅先の馬小屋を誕生の時と選ばれたことと無縁ではないし、主の宣教が弱く貧しい人々の中で、「寄り添う」という恵みを示され続けられたことからも明らかである。そう、サウルは弱さを忘れた時に失脚したが、パウロは弱さを知った時に恵みに活かされた人生に出会ったのである。だからこそ、パウロは「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(2コリント12:10)と語ることができたのだろう。
「弱さを知れ、そこに主を見出す入り口がある」と聖書全体は私たちに呼び掛けているのではなかろうか。主の平安を祈りつつ!