夜明けは近い

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安息日が終わり、夜の帳(とばり)が下りる中、女性たちはもどかしい思いで夜が明けるのを待っていた。十字架に付けられ埋葬された主イエスの墓に、三日目にしてやっと出向くことができるからである。夜明け前、彼女たちは香料を準備し、夜明けと共に墓に出向いた。香料を準備したのは、主イエスのご遺体を悼むためであった。主イエスが生きておられた時、まさかご遺体のために香料を用意しなければならないとは想像だにしていなかった。それどころか、「この方によって新しい社会が来る」という、まさに夜明け前の希望に満ち溢れていたのに、現実はそれとは真逆の事態に、墓に向かう彼女たちの足取りも、さぞ重たかったことだろう。しかし、空の墓、輝く衣をきた二人に「ここにはおられない、復活された」と告げられ、イエスが十字架と三日後の復活について語っておられたことを思い出した(ルカ24:1~等)。彼女たちが思い描く夜明けではなかったが、イエスは十字架と復活について預言しつつ「神が与えてくださる夜明けは近い」と示しておられたのであった。

「友よ夜明けまえの闇の中で 友よ闘いの炎をもやせ 夜明けは近い夜明けは近い 友よこの闇の向こうには 友よ輝く明日がある」、岡林信康氏が1969年に発表した曲である。様々な解釈があり、若者たちに体制派・反体制派に関わらず歌われた。元々は牧師の子息であった彼が讃美歌として作曲したもので、2番の「友よ君の涙君の汗が 友よむくわれるその日が来る」、3番の「友よのぼりくる朝日の中で 友よ喜びをわかちあおう」の2節であったという。しかし、別の方が3番の歌詞を付け、発売の時には3番が最初にきたのだという。(HP:「フォークソングは青春のうた」より)つまり、彼は「夜明け前」というかなり限定的な時ではなく、「近い」と表現することによって、どんな状況にあっても希望を保ち続けられると信じていたのではないだろうか。闇が始まったような状況の中で「夜明け前」と語って励ますことには無理がある。しかし、闇が始まり、何も先が見えないような時であっても「夜明けは近い」と、私たちも語り励ますことが出来るのではないだろうか。空の墓の前で、十字架と復活について語られた主の言葉を女性たちが思い出した時、主の言葉の背後にあったのは「夜明け前」ではなく、「夜明けは近い、だから神様に委ねて安心しなさい」という思いを受け止め、弟子たちに主の復活を伝えたのではないだろうか。

今日はイースター、地の上の全ての人が主の復活を喜べる時がひと時も早く来ることを願いつつ、「夜明けは近い」と口ずさんで自分に出来ることを為していきたい。