引き算か足し算か 

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「そろそろお別れだなぁ」と、寝たきりの老犬の背中をさすりながら、深夜に呟く私。生後3か月の時に、捨て犬センターから我が家に来てくれて16年4か月。当初は飼い方も分からず、「世話がかかる」という気持ちが強かった。朝と夕方の散歩は欠かせないため、28kgの大型犬の散歩はほぼ私の担当。家族揃っての旅行は厳禁。犬と暮らした方には容易に想像できる日常を、私たち家族も過ごしてきた。限られた時間の中で「世話のための時間を引く」日常という訳だ。しかし、犬と散歩していると見知らぬ人と言葉を交わせるし、視点も変わる。時間的にはマイナスだとしても、ストレスの解消になったり散歩で健康維持出来たりと、プラス面が多い。状況が変わらないならば、引き算よりも足し算で考えた方が、はるかに豊かな日々を送れることを、16年余の生活を通して体験させてもらった。

士師ギデオンは、3万2千人を率いてミディアン人との戦いに向かった。敵は13万5千人であった。しかし神は、「恐れおののいている者は帰れ」と言われ、2万2千人が帰っていった。更に進んで兵士が水を飲んでいた時、「膝をついて屈んで水を飲んだ者は帰らせ、手から水をすすった者だけ残れ」と言われた。結局、300人の者が残り戦いに向かったのであった。(士師記6~8章) 2万2千人を帰したのは、数が多くて勝利すれば、「自分の手で救いを勝ち取った」とおごりが生じるからであり、敵陣近くにあって無防備な者は「戦うよりも自分の欲望(喉の渇き)を満たすことを優先するからであった。信仰は人間の思いを捨てた「ゼロ」の状態に、神の働きをプラス、即ち足し算することによって豊かにされ成長させられるものだと、ギデオンの戦いを通して教えてくださっている。

今日(8/8)で東京オリンピックが閉会となる。「東日本大震災からの復興をアピール」はどこかに行ってしまい、「コロナに打ち勝った証しのオリンピック」を目指していたが、現実は逆であった。何の問題も生じず、スポーツの祭典を国を挙げて開催するという高い目標は、次々に問題が生じ、ついには無観客で開催するしかなくなってしまった。数多くの引き算が為された結果、逆の意味で記憶に残るオリンピックとなってしまった。先ずは中止という「ゼロ」から始めて、できることを積み上げていく足し算であったら、同じ無観客でも賞賛されたオリンピックになったかもしれないと思うがどうだろう。

コロナ禍で多くを「ゼロ」に戻された気がしている。だとすれば、大切な事や必要な物を選択して足していく良い機会としたい。そういえば、子育て中は忙しかったけど、「足し算」と思えたから楽しかったのだろうなぁ。

(老犬ウル、16才7か月、8月8日午後1時15分、お別れしました。)