物言えない世界

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「そんな風に弱ってから大変でしたけど、2年位私も世話をしましたよ」と、500m程離れた公園でご婦人に声を掛けられたのは、昨年の今頃であった。ヨロヨロ歩く老犬(当時15才5か月)を連れて、散歩していたからである。私ですら引きずられてしまう程元気だったが、その頃には、後ろ足に力が入らず時折座り込むようになっていた。初めて飼った犬だけに、この先どうなるか想像もできなかった私だったので、思わず「2年もですか!」と発してしまった。あれから1年、「大変でした」の意味を理解しつつ過ごしている。最近は牧師館から道路までの20m程を支えられてやっと歩けるだけなので、以前通っていた公園は無理。排泄も不規則なために紙オムツ、深夜の徘徊にも対応しなければならない。その都度、何をして欲しいのかと想像するしかないのだが、せめて「水・オシッコ・ご飯位の事は言ってくれたらなぁ」と、深夜に見詰めながら叶わぬことを思ってしまう。ともあれ「ここにいるよ」と物言わぬ老犬の傍で声を掛け続けたい。

現在開催中のテニスの「全仏オープン」大会を、優勝候補であった大阪なおみさんが棄権した。試合後の会見を拒否したことが発端で、主催者から罰金を課せられ、更には「拒否し続けるなら大会追放」を提示された彼女は、「混乱させるつもりはなかったこと、そして自身がうつ病で2018年以降苦しんでいたこと、今の状態では会見しないことがベストだと判断したこと。」を明らかにした。彼女の告白を聞いて賛同する人も多く、大会主催者も変化、「意味のある改善を行うつもりである」と発表した。一方、最初に病気を告白して拒否するべきだったという論調もある。確かに順番を間違えたのかもしれない。しかし彼女は、「うつ病であること」を言えなかったのである。言えなくて病気をみせないように振る舞わなければならず、言えなくて苦しんだ結果会見拒否をしたのである。彼女を、そして彼女の順番を責める前に、うつ病であることを言えない社会の在り方こそが問題なのだと気付いていかなければなるまい。休養し、あるがままの彼女で十分にプレーできるようになることを願うばかりである。

徴税人、罪人、病を抱えた人々、社会の中で置き去りにされ、物言えない人々にキリストはいつも目を注ぎ、手を差し伸べ、声を掛けられた。しかし、物言えない人々が存在する社会は現代まで絶えることなく続いているし、更にコロナ禍によって物言えない人々は新たに増え続けている。このような時にこそ、物言えぬ人々に心を寄せ続ける私たち(教会)でありたい。