安心安全

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長男が運転免許を取得した時、「運転する時は、何が起こるか分からない。横から子どもが飛び出してくるかもしれない、停まると思っていた車がこちらに気付かずに動き出すかもしれない、自転車が突然車の前を横切ろうとするかもしれない。だから、大丈夫だと思わずに、憶病になってほしい!」と願いを込めて告げた。次男は牧師になってから免許を取得したので同じことを言う機会を逸したが、二人とも運転しなければならない状況にあるので、「運転中は臆病者で!」を心がけることで、「安心安全」に過ごしてほしいと親として願う毎日である。

聖書にも「憶病な」人が登場する。士師の時代のギデオン(聖書無料配布の協会の名前に使われている人物)である。彼の一族は部族の中で最も小さな一族で、更に彼はその中でも最も年下であった。敵の襲来に備え酒ぶね(ぶどう酒を造るために掘られた穴)に隠れて小麦を打つ程、用心深い人でもあった。ところが主の御使いから「敵と戦う士師に」と告げられたので、彼は「選ばれたしるし」を求めた。すると「民が拝んでいるバアル(偶像神)の祭壇を破壊せよ、主が共におられるから安心せよ。」と言われたが、彼は人々を恐れて日中を避け夜中に決行する程であった。その彼がやがて、襲い来る敵13万5千人に僅か300人で戦いを挑み勝利することになる。彼は決して強い人間ではなく、用心深く、むしろ憶病であったが、主が繰り返しみせてくださった「しるし」に「安心安全」の根拠を見出し、主の知恵、主のみ言葉に信頼して敵に向かっていくことが出来たのである。

市川教会は「み言葉を宣べ伝えること=礼拝を守ること」と受け止め、自粛期間中も礼拝を守ってきた。(公共交通機関利用の方は礼拝出席を控えてもらったが…。)そのために、会員の協力を得て様々な工夫を行い、予防になると思えるものは率先して取り入れた。それでも大丈夫だという確信はなかったが、最終的に牧師である私が決断した。1年経て正直に告白するが、コロナ禍当初、基礎疾患がある私は感染することを恐れる日々であった。実に憶病だった。だからこそ、礼拝を守るために必死になり、新たな予防策を取り入れ続けることで少しは「安心安全」な気持ちになれたものだった。だが最後の拠り所になったのは「御言葉を宣べ伝えなさい。」(2テモテ4:2)の聖句であった。「安心安全」な礼拝を守るためにも、これからも私は憶病であり続ける!

最近、根拠が示されないまま「安心安全」が語られる。それは「憶病」だからなのではなく、「怠惰」か「誤魔化し」かのどちらかだと思えてしまうが、どうだろう?