弱さは優しさを引き出す②

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4月は年度の始まり。子どもたちもそれぞれに学年が上がり、それだけで成長しているように感じることが多い。学年が変わったというだけで、さほど変わらないのだが、大人がそのように見てしまうということなのだろう。背後にあるのは、「成長すること」イコール「自分で出来ることが増えることで、それはとても良いことだ」と思い込んでいるからではないだろうか。

前回紹介した豊橋技術大学の岡田美智男教授は、「小さい時から『ひとりでできる』ということを良しとする文化の中で育ってきた。例えば、子どもを育てている中で、「早くひとりでできるように」という親の期待があり、『もう、ひとりでできるよ』という環境の中で育ってきた。学校教育の中でも、『この問題だったら一人でできる』ということが必要かつ当たり前になっている。脳性マヒの障害を持ち車いすで活動しておられる熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学技術センター特任教授)が『自立するとは、依存先を増やすこと』とご自身の経験から語っておられたが、『ひとりでできるもん!』と肩肘張った生き方から、『ひとりでできないもん』とほんの少し肩の荷を降ろした生き方もいいのではないか。ロボットが完璧に仕事をこなすと、要求が増え人間の傲慢さを引き出してしまう。しかし弱いロボットは、他者を揺り動かし、一緒に行為する協働性が生まれ、その思いが伝わり手伝った方も嬉しくなる。ロボットと人との共生の姿をこれからも考えていきたい」(豊橋技術大学HP講演ビデオより)と講演の中で語っておられた。ロボットの弱さを受け入れることで人は優しくなるだけでなく、共に生きることの喜びを覚えるのだろう。「人と人」もまた同様である。「ひとりでできるもん!」は確かに成長の目安にはなるが、それが最終目的ではないということかもしれない。

十人の「規定の病を患っている人々」が共に支え合い生きていた。近くにイエスが来られると聞き彼らは遠くからイエスを出迎えた、「憐れんでください」と叫びつつ。するとイエスは「体を祭司にみせなさい」と言われたので、彼らは祭司の所に向かったが、その途中で彼らは癒された。10人の内、サマリヤ人だけがイエスの許に感謝しに戻った際、イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。(ルカ17:11~19)この一人の人は、自分に寄り添ってくださる方を見つけたからこそ、「救われた」と言われたのである。病気が治ることよりも大切なことなのかもしれない。

弱さが優しさを生み出し、優しさが共に生きる生き方に私たちを変えてくれる。時にはポツリと「ひとりでできないもん」と呟いてみるか!