気遣いはちょっとで良い|救いになる小さな気遣い

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汗疹(アセモ)が出来やすい体質の私は、腕時計を持たない。文字盤の金属が触れた部分に汗疹が出来るからだ。腕時計をしていなくても、夏になると毎年忘れずに汗疹はやってくる。中学生の頃からの付き合いなので、無意識にひっかきながら夏をやり過ごしてきた。しかし今年はいつもと違った。6月半ば頃から両腕に出来始め、7月末には両足にも出来、連日かきむしる有様だった。軟膏を購入したり、痒みを止めるために冷やしたりと工夫するのだが治まることもなく、9月になると背中やお腹にも出来始めた。私の腕をみて心配してくださる方も大勢いたが、その度に「ただの汗疹で、汗疹が出来るくらい若い肌なんです」と根拠のない冗談を交えながら応じてきた。しかし執拗な暑さが続く10月に「もう限界」と薬局に駆け込んだ。「痒み止めが欲しいのです」と両腕を見せながら店員さんに尋ねると、店員さんは目を丸くして、開口一番「病院に行った方が良いですよ、薬を買うよりも!」と商売を忘れたアドバイス。「そんなに酷いですか?病院へ行ってみますが、取りあえず痒み止めをください」と薬を処方してもらった。

数日後、空いた時間に皮膚科をネットで検索。「完全予約制」、「初診時はマイナンバーカード必携」という所が多い。マイナンバーカードは大事だからと大切に保管し過ぎて、どこに保管したかを忘れてしまった私なので、受診不可!やっと見つけた病院へ取りあえず出掛けると、病院のあるビル全体が改装中で休診中。八方塞がり、万事休す。途方に暮れたがこのまま帰宅しても痒みは続く。意を決して完全予約制の病院に行ってみることにした。「予約制とは分かっているのですが、診てもらえませんか」と受付で腕を見せつつ申し込むと、先日の薬局の店員さんと同じ顔をしつつ「予約の方が優先で、いつになるか分かりませんが待てますか?」と。待つこと30分、やっと受診し痒みからの解放の一歩が踏み出せた。見ず知らずの飛び込み客(患者)にも拘(かか)わらず、店員さんや受付の方のちょっとした気遣いが嬉しかった。

群衆をみて深く憐れまれたイエス、背後から服の房に触った女性を捜したイエス、子どもを受け入れたイエス、イエスに出会った人々の記憶が聖書となったが、そこにはちょっとした気遣いに溢れた「あのお方」の姿が生き生きと記されている。そんなちょっとした気遣いの出来る私になりたいと、定年間近になっても出来ていない自分を振り返りつつ願う私が今もいる。