変えたければ、まず自分から

第五章 岐路に立ち選択するとき

人生は選択の結果である。人生の結果に影響するのは、環境と出来事、そして生まれつきの素質であり、加えて自己の決断がある。環境と出来事と素質は変えることができないが、しかしそれだけで人生が決定されるわけではない。人生を最終的に決定するのは自己の決断である。その決断は、環境や出来事や生まれつきの素質にもかかわらず、それらを超えて人生を決定する。その決断を促すものはなにか。それを発見した者こそが人生に勝利する。

新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。(マタイによる福音書9章17節)

【解 釈】 新しいぶどう酒は発酵力が強いので、古い皮袋に入れると、袋に弾力性がないので破れてしまう。同じように、新しい考え方があっても、相変わらずの価値観や生活スタイルに執着していると、いつまで経っても新しい展開はない。物事を新しくするときには弾力性が必要である。

ところが私たちはどうかすると、古い皮袋に新しいぶどう酒を入れようとしている。古い皮袋は、今までぶどう酒が入っていたので、いかにも安全そうに見える。しかし、弾力性を失っている。その結果、ぶどう酒はうまく熟成しない。新しい考えがあっても、枠を壊すことに億劫(おっくう)になって、従来のままでなにもしないなら、なにひとつ新しくはならない。新しい形で実行するのは一種の冒険である。冒険をするためには、考え方や行動に弾力性がなければならない。また結果がどうであれ、その結果を受け入れる勇気が必要である。

【こころ】 会社の庶務部に新しく配置転換になったひとりのOLが相談にやって来ました。「会社にいると、気配りが足りないと前々から言われていて、いつも叱られ通しです。こんど庶務に配置が変わったのですが、庶務は気配りがたいへんよと同僚に言われて心配になってきました。もって生まれた性格というか、なにか言われるとすぐ頭にきてカッカしちゃって。これで庶務の仕事ができるでしょうか」と言います。
「変わりたいですか」と私は言いました。
「それは、変わりたいです。でも、変わりっこありませんもの」
「じや、これから上司の人があなたになにか言ったら、かならずひとつ呼吸してから返事をするようにするといいですよ」
「そんなことで変わるのでしょうか」
「まあ、やってごらんなさい」と彼女を帰しました。それからしばらく経って、彼女がやって来ました。
「不思議ですね。私、変わったみたい」と言います。
「へえ―、どんなふうに」
「この間、上司が私に文句を言ったので、思い出して、スーツと鼻で呼吸をしたんです。そしたら上司がけげんな顔をして、お前なにをしてるんだと言うので、呼吸をしてるんですって言ったら、俺の言うことを吸い込もうとでもするのかって言うんです。そうですって答えたら、お前は今日は落ち着いてるなって笑われてしまいました。こんなことはじめてです」

新しく物事を受けとめ直そうとすれば、新しい自分でなければなりません。どうせ変わらない自分と思い込んでいれば、なにひとつ新しいことは自分のなかに起こりません。このOLがしたことはほんの些細なことのようですが、新しいことを始めるには、なんでもよいからひとつ新しい自分でなければならないということが、日常のなかにたくさんあることを教えているようです。

賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より