1 あなたは安心して生きていますか
Q これから先、どうしたらよいか、分かりません。何をやってもうまくいかないのです。もし、安心できる世界を自分の中にもてば、どのような辛い時も勇気をもって生き抜くことができると思います。どうしたら安心して生きることができるでしょうか。
A とても大切な問題を投げかけてくださって有り難うございました。あなたの悩みは、きっとあなただけのことではないと思います。今の時代、誰しもが抱えている悩みではないでしょうか。
人がもっとも安心するのは「あなたがそこにいるだけでよい」という言葉を聞くときであると言われます。しかし現代の社会生活は「そこにいるだけでよい」とは言ってくれません。「そこにいるだけ」は社会の評価基準からすれば怠け者、無力なる者、人生の敗残者でしかないからです。しかし社会が怠け者と烙印を押すメッセージが人にとってはもっとも安心感を与えるとはまことに皮肉なことです。
「そこにいるだけでよい」という言葉を怠け者へのレッテルとしてではなく、安心感を得るためのもっとも重要な言葉として用いようとするなら、聖書に聞く必要があります。
創世記によれば「神はお造りになったすべてのものをごらんになった。見よ、それは極めて良かった」と言われたとあります。英語ではIt was very good.と表現されます。goodとは美しいという意味もあり、ここで意味されていることは、存在するものはすべて美しいということです。存在そのものが肯定されているのです。
またマタイ福音書六章二十六節には「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」とあります。また野の花は「働かず、紡がず」とあります。にもかかわらず神は空の鳥を養い、野の花を美しく装ってくださいます。「蒔かず、刈らず、倉に納めず、働かず、紡がず」とは、いわばなにもしないということです。現代社会では怠け者といわれることに通じる言葉です。にもかかわらず神はその存在そのものを受け入れておいでになるのです。何事かをして役立つことで評価を得る生活とはまったく異なる評価基準がここにあります。
私たちを取り巻く世界は学校でも、家庭でも、何事かをすることを促す言葉で溢れています。「頑張れ」、「勉強しなさい」、「努力しなさい」がそうです。人はこれらの言葉を毎日のようにあきるほど聞かされます。世のなかや自分に役に立つためにそうしなさいと言うのです。
もし「いるだけよい」と言おうものなら、「とんでもない。それは怠け者の言うことだ。そんなことで世の中は渡っていけない」とたちどころに反論されるのが落ちでしょう。にもかかわらず「そこにいるだけでよい」という言葉が人に安心感を与えるということはとても大切なことです。その言葉を口にするには、「見よ、それは極めて良かった」という聖書の言葉を思い起こす必要があるでしょう。その言葉を聞きたいと願っている人たちが、この社会には大勢います。そして「いる」ことがよしとされるなら、おのずと「する」ことが生まれます。ちょうど、根っこのある植物を植えるようなものです。根っこのない植物を植えてもやがて枯れてしまうでしょう。現代社会が人間に「する」ことを求めて、「いる」ことの大切さを忘れているのは、まるで根っこのない植物を植えているようなことなのです。
以下の文章を完成させ、それについて考えてみましょう。
1 私が不安になる時は
2 不安になった時、私はこれまでしてきたことは
3 私がこれからすることは
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