7 あいまいさと不確実な世界を受容する
Q わたしは、あいまいなことが大嫌いで、何事につけても白黒をはっきり付けたくなる性分です。時々、友人からあなたと付き合っていると息苦しくなると言われることがあります。物事がはっきりするまでとことん突き詰めるからでしょうか。
A 物事をはっきりさせることは、それ自体悪いことではありません。しかし、世のなかで起こることが、すべて白黒はっきりしたことばかりとは限りません。とくに人間の問題にはあいまいなことや不確実なことが付き物です。
心理学者ゴードン・オルポートは、とくに人間の問題を扱う人はあいまいさを受容することが必要だと言います。彼はこのような例をあげます。大きくなっても指しゃぶりが止まない男の子がいました。母親はその癖を何とか止めさせようと思い、精神科医やカウンセラーのところを尋ね歩きました。しかし一向にその子の指しゃぶりは止まる気配はありません。ところが彼が十才になったとき、突然指しゃぶりが止まったのです。驚いた母親は「いったいどうしたの」と彼に問いただしたところ「十才の男の子は、指しゃぶりなんかしないものさ」と彼は答えたというのです。
この現象をいろいろ詮索して、男の子の心理を分析して答えを見つけようとしても意味はないとオルポートは言います。こういうときは、そこに起こった事実をそのまま受容する以外にないと言うのです。はっきりした答えはないけれども、起こっていることは事実なのだから、それをそっくり受け入れることが重要なことだということです。おそらく完全に説明可能な答えを探してみたところで、満足できる答えは出てこないでしょう。
どのような素晴らしい発明や発見にも、偶然の思いつきや予想もしなかったことが絡んでいるように、世のなかには、どうしてそうなったか分らない、けれども兎に角そうなってしまったということがあるものです。不確実やあいまいさを抱えて生きるためには、「ほどほど感覚」を身に付ける必要があります。成熟した人間の生き方には、それが備わっているのです。
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以下の文章を完成させ、それについて考えてみましょう。
1 私が物事の白黒をはっきりさせたくなる時は
2 物事の白黒をはっきりさせたくなる時の気持ちは
3 物事をあいまいのままにしておいても差し支えないと思う時は
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