何度でも
「キリストの血によって」なんだかびっくりしてしまいますね。イエス様なんて知らなかったのに、そんな私なんかのために?「血によって」ってイエス様が私のために死なれたってこと?そうです、イエス様があなたのために死なれ、あなたのために今も生きておられるということなのです。
「キリストの血によって」なんだかびっくりしてしまいますね。イエス様なんて知らなかったのに、そんな私なんかのために?「血によって」ってイエス様が私のために死なれたってこと?そうです、イエス様があなたのために死なれ、あなたのために今も生きておられるということなのです。
あなたは何を恐れますか? 今お読みした聖書の箇所マタイ21:45、46には「祭司長たちやファリサイ派の人々は群衆を恐れた」とあります。私たちは自分に危害を加える可能性がある人や自分を批判するかもしれない人が、なるべくそうしないようにと逃げるか隠れるか、事を荒立てないように穏便に済ませようとするこ...
「あなたにとって今、何が大切ですか?」何を急に先生は聞くのだろうか?と思われた方も多いと思われます。一つには絞りきれない方や、そんなの時と場合によって違うわ、とおっしゃれる方もおられると思います。
今、皆様とご一緒にお読みいたしました聖書の箇所において、天の国の例えをイエス様は語られております。お金持ちできらびやかな衣装をまとってないと祝宴、すなわち天国には入れませんよ、とイエス様がおっしゃっているのではありません。「天の国」では、お金も身分も力も必要ありません。それはたくさんのみことばが...
今日の聖書の箇所には、羊飼いたちが神様の御子イエスキリストの誕生の知らせを聞いて、喜んでイエス様に会いに行く場面が書かれています。イエス様の誕生は私たち一人一人、民全体の喜びです。羊飼いたちの姿を通して、どんなに身分の低い人たちにでも神様からの恵みはあふれています、と私たちに教えてくれているよう...
「いつも私は光と共にある。」と思われる方はおられますか?では、「いつも私は命と共にある」と思われる方は?「命がなければ死んじゃうよ!当たり前なことだから意識したこともないよ。」と怒られてしまいそうですね。そうです。「私たちは命を与えられている」と当たり前に思っていても、それが神様の光によって照ら...
「保育園の降誕劇にヘロデ王は登場しない、『ヘロデ王をやりたい』という子どもはいないから」と書いたのは先週。「ヘロデ王イコール悪役」というイメージが強いし、主の降誕という状況を説明するだけなら、無理に王を登場させる必要はないということもあるだろう。
今お読みした聖書の箇所に『宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである』(ルカ2:7)と語られています。私は聖書を読んでふと不思議に思いました。「マリアさんもヨセフさんもいやじゃなかったのだろうか?」と。でもここも神様が共におられる場所だったのです。
「宿屋さんは?」と、キリスト降誕劇で宿屋役の子どもたちが聞いてきた。卒園記念の聖書を少し早めに贈呈し、これから行う降誕劇は聖書に書いてあると子どもたちに教えたからである。保育園で行われる降誕劇は、マタイとルカの福音書の記事が基になっている。マリアとヨセフ、羊飼い、天使や星、博士に関しては、直接そ...
聖書はザカリヤの口を通して語ります。 「ほら、やっぱり『主の民』って言ってる。これって特別な人たちのことじゃないの?神様からの光が訪れるのは特別に選ばれた人にだけなんだよ。」とがっかりすることはありません。なぜなら今、ここにいるあなたももう神様に選ばれた特別な人だからです。すべての一人一人が『主...