孤独も悪くない

「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」

哀歌3章28節

旧約聖書の『哀歌』は紀元前6世紀バビロニアによるユダヤ滅亡の悲劇を歌った歌です。堅く信じてきた選ばれた民族としての誇りはもろくも崩壊し、信頼してきた神はこの難事にさいしてあたかも無力のようにしか感じられませんでした。未来への希望は絶たれ、ただ息をひそめてこの苦難に耐えるのみの日が続きました。なにをしようと、どれほど知恵をめぐらせようとこの苦難を乗り越えるに足りないと思われた。

作者はここでじたばたしてもはじまらないと思ったのです。この国家的難事にさいし、ただ息をひそめて耐えること以外になにもすることがないのであれば、むしろそれをこちらから選び取ってでも、黙ってひとり座わっていようと言うのです。事の重大さに圧倒されて、なす術を知らず、ただ「黙して、独り座る」というのではありません。むしろ進んでひとり黙して座るのです。

大きな困難にさいしては、どのような知恵も策も役立たずと思われる時があるものです。もしまったくなす術を失ったとしても「黙して、独り座っている」ことはできます。なにもできないからではりません。むしろ積極的にそれを選び取るのである。それによって新たな可能性へと目が開かれるからです。