バッハのロ短調ミサ

ライプツィヒ第3期(1735年-1750年)

晩年のバッハの自筆はかなり乱れている。白内障だったから、そのせいかも知れない。結局この白内障の手術を、施療のため訪独中だった著名な英国人医師から受けて術後の経過が悪く亡くなったのだった(市内の教会墓地に埋葬されたが、その後トマス教会聖壇地下に改葬されて現在に至っている)。それでもバッハは自ら、あるいは他人の手を借りて自らの曲の最終稿を多くまとめ続けた。「マタイ受難曲」の自筆最終稿もその一つである。

この最晩年の時期のバッハの遺作とも言うべき大曲は「ロ短調ミサ」である。他の曲はすべて演奏されたものだったろうに、これだけは生前遂に演奏されることのなかった大曲である。それまでにもバッハは「サンクトゥス」や「キリエ-グロリア」は作曲していた。これを生かした上で、バッハは「クレド(ニケア信条)」と「ホザンナ」を作曲して「ロ短調ミサ」とした。「クレド」の「十字架につけられ」が中心となり、当時十字架の調として知られ、バッハも多用してきた「ロ短調」でまとめているところが特徴である。ミサ曲ならカトリック教会でも使用できるから、「バッハはエキュメニカルな思いをもってこれを作曲したのだ」などと論じる日本の研究者もいるが、当時はまだローマ・カトリック教会とプロテスタント教会は対立し、祈りの中でもそれを隠すことはなかった時代である。むしろバッハはルターの宗教改革以来の礼拝伝統を生かし、「十字架につけられ」を中心として自らの信仰告白をここに楽譜の形で遺言として遺したのだろう、と私は心深く聴き取っている。