あなたに伝えたくて

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さり、ありがとうございます。
私たちは毎日を緊張して生きてるような気がします。
自分が所属している組織の人間関係や言葉のやりとりや不安、疑い、憎しみや悲しみ。
しかし神様、あなたは私たちに安心や希望、喜びの中に生きていることを教えて下さいます。
なぜなら全ての一人一人を創造し大切にして下さる神様が一人一人と共にいて下さるからです。
神様は私を裏切りません。愛して下さいます。神様あなたに感謝して今を生きることができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって
聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【聖書参照箇所:使徒言行録4章13〜20節】
わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。(20節)

聖書で語られているペトロさんやヨハネさんが言っている「わたしたちが見たり聞いたりしたこと」ってイエス様が行われた奇跡や話された言葉の数々のことなのでしょうか。それだったら聖書を読まれたり聞いたり聖書に親しまれてる方々だけに解る事で私には関係ない、と思われる方やイエス様の奇跡を見たわけではないから難しいな、と思われる方もおられると思います。私もこの地球上に人間として生きられていたイエス様に直接お会いして話したり奇跡をおこされたところを見ていません。

 聖書で語られている「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒4:20)という言葉は何を言ってるのでしょうか。今の時代を生きている私たちには全く関係のないことなのでしょうか。いいえ、今を生きている私たち一人一人にも関係しています。私たち一人一人が今イエス様と出会っているのです。だってイエス様はいつもあなたと共におられるからです。

 「何で自分は生きてるのかな」とか「いいのかな私なんてここにいて」って思う時があります。どこに行くにも人の手を借りないと行くことができない。お金がかかる。いっそのことどこにも行かない方が迷惑にならないし、お金もかからないのではないだろうか、って。そのように考えてしまう時があるんです。私は車椅子です。車椅子ではなくても幼い子どもを連れたお母さんや子ども、ご高齢の方々など、よく言われる社会的弱者と言われる方々も同じような気持ちを抱えているのではないでしょうか。

 私はいろいろな思いを抱えたままある日、外出をしました。出かけた先で出会った人に「あなたの笑顔に癒されるよ。」とか「来れて良かった。よく来たね。」とか思いっきりやさしい笑顔を向けて下さる人もいました。あっ、こういうことかもしれない。私もイエス様に出会ってる。ペトロさんやヨハネさんが「話さないではいられないこと」それは今を生きる私にとっては、イエス様が一人一人の人を通して私に語りかけて下さることだったのです。だからイエス様は必ずあなたと共におられて、あなたとも出会うイエス様なのです。
あなたにイエス様が言われます。「生きててくれてありがとう」