エフェソの信徒への手紙 2章1節ー10節

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 エフェソ2:1-10
 1:さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。2:この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。3:わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべきものでした。4:しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、5:罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―6:キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7:こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとしたのです。8:事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。  9:行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。10:なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

 

祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。暑い日が続くようになりました。年々暑さが少しずつ上がってきているようですが、夏の次には秋が来て、冬になって春が訪れると、私たち一人一人の心は一年間に四季があると、神様あなたから与えられる恵みを自然に受け入れています。一つ一つに文句や不平を言うこともあれば、感謝の心や言葉が溢れることもあります。しかし、どんなにちっぽけでもどんなに迷惑に感じることがあっても、神様あなたからの愛は私たちに注がれています。そして一人一人と共に今もここに共におられます。これから語られますみ言この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。アーメン

 

 

おはようございます。今朝はイエス様のお話を聴いたから、一日私はよい行いができるわ、と張り切ったとしても、自分の理想通りに動けなかったり思っていたような結果が出なかったりして「やっぱり今日もダメだったわ」とか「私ってやっぱりダメね」と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。自分のせいにしないで全てを周りの人たちのせいにして自分を正当化してしまうこともあるかもしれません。

私は高校生のときに洗礼を受けました。それこそ教会で洗礼を受けるということは、きっとこれまでの自分とは違わなくてはいけないんじゃないかと緊張しました。たとえばいつもニコニコしてなくてはいけないとか、あまり怒ってはいけないとか、それこそ聖書に書かれているイエス様のように生きなくてはいけないとか。洗礼を受けてクリスチャンと呼ばれるようになったらこうならなければいけない、私は変われるんだと、どこかで意気込んでました。

本当にそうなんでしょうか。イエスキリストによって生きるようになるとは外見や行いが今までとは違う人間になることではありません。でも変わります。何が変わるのでしょうか。それは「自分が生きててもいいんだ」「私は今も神様に愛され大切にされている」「イエス様と共に生かされているんだ」とただ受け入れるだけなのです。神様に造られ命を与えられ、今も愛されている人の生き方はその人自身の生き方です。ただ神様は今もあなたがあなたらしく、そのままを生きるようにと包んで下さいます。

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