第七課 バビロン捕囚 をわかりやすく解説

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第七課 バビロン捕囚
主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。
エズラ記1章1節

 

紀元前6世紀の頃イスラエルの民はバビロニアに侵攻され、国家的な悲劇を経験しました。その間、彼らはやがてメシアが現れて解放してくれるものとの期待を持ち続けていたのでした。来るべき解放者はダビデのような英雄の姿を想像していましたが、そのようなメシアが一向に現れることなく、そのうちにメシア像は、イザヤ書53章に見るような彼らの苦しみをわが身に負う苦難の僕の姿へと変っていったのでした。

ほぼ半世紀にわたる捕囚の間を過した彼らをバビロニアから解放したのは、イスラエルが彼らの歴史の中で待望していたメシアではなく、異邦人であるペルシア王キュロスでした。キュロスは彼らを解放したばかりでなく、帰還後エルサレムに神殿を再建することを助け、バビロニア王ネブカドネツァルが持ち去った神殿の祭具を返還したのでした。

神のなさることはまことに人の意表をつきます。異邦人とは相容れないとしてきたイスラエルの民が異邦人キュロスによって解放されるという歴史の逆説は、新約の善きサマリア人のたとえにも共通するのであって、わたしたちは自分たちの周辺社会との関係の中にも起こり得ることを考えねばならないでしょう。

人は思いがけないところに新しい生き方を発見することがあります。私はかつて自閉症児のための小規模通園施設を教会に設けたことがありました。子どもたちとは別に,お母さんたちの集まりを私が担当して、子どもを育てる苦労を皆で分かち合う会を開いていました。あるお母さんが言います。「私は、この子を育てる間に何度もこの子と一緒に死のうと思ったことがあります。でも段々考えが変わってきました。この子のために私が元気でいなくてはと思うようになりました。でも、この頃は、また違った考えを持つようになったのです。この子を育てたおかげで、私は他のお母さんより豊かになりました。この子は、私にいろいろなことを教えてくれる宝物です。」

お子さんが自閉症であることは変わりませんが、お子さんが自閉症だからこそ、このお母さんは新しい生き方を得られたのです。

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