心を向けて

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ヨハネ1:14-16
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。

祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。
一日一日と気温も下がり、私たちの着ている服もだんだん温かそうに厚くなってきました。
その一方で、青々と茂っていた木々の葉も、
いつの間にか紅葉して、あっという間に地面を覆っています。
土の中では、もう次へと繋がっている命の準備がされているのだと感じるとき、
神様の造られている世界の繊細さと大きさに感謝します。
見えないものへの恐怖より、
あなたが造られているものへの感謝に溢れる日々でありますように。

これから語られます神様、あなたからのみ言、
この語る者を通して、神様あなたがお語りください。
ここにおられるお一人お一人の心にある方々とも祈りを合わせ、
この語る者の全てを神様あなたにお委ね致します。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前によって
み前にお捧げ致します。

アーメン。

 

『わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から恵みの上に、更に恵みを受けた。」
ヨハネ1:16

 

おはようございます。
この挨拶が交わせる「今」というかけがえのない時は、
当たり前のことでは決してなくて、神様から与えられるあなたへの恵みです。
「今を与えて下さり神様ありがとう」と、いつも思えたら
きっと、一瞬一瞬がかけがえのない大切なものであると
感じて生きていけるんだろうなぁって思います。

イエス様はそのようにこの世を生きられました。
私たちがイエス様を通して見た「栄光」って、いったい何でしょうか?
キラキラと煌びやかに着飾った様子でしょうか?
何百万円もかかる装飾品を身につける様子なのでしょうか?

今朝、ご一緒にお読みしました聖書の箇所の中で語られている「栄光」とは、
外見だけのことには留まらず、内面、すなわち心の中の豊かさのことも語っています。
心がいつも神様へ向けられること。
「今を与えて下さり神様ありがとう」と、いつも思えることなのです。

「そんなこと無理だよ」「やろうと思ってもできない私は失格だわ」
「神様許して」と思うかもしれません。
私たち人間はいろんな時もあり、そんなしょっちゅう神様を思い出すことができないかもしれません。
それどころか神様を忘れてしまう時もあります。
でも安心して下さい。神様はそのようなあなたもご存知です。
神様はいつもあなたに心を向けて下さっておられるので、
あなたは安心して神様を思い起こす時に、神様に心を向ければいいのです。

「そんな都合がいいこと。。。」なんて思わないで大丈夫です。
神様は回数や成績であなたを判断しません。
あなたの心が、神様のもとへ帰ってくることを
いつも待っておられます。

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