心のわだかまりはなるべく減らして

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マタイ5:21-26

5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、5:24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。5:25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。5:26 はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
  

 

祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
寒い日が続き空気はどんどん乾燥したり、暑くて湿気が多かったりします。
同じ日本でも気候が違っていたり、世界では日本とは全く反対の気候の所があります。
本当に自然の中に生きている私たち一人一人の存在の小ささを感じます。
しかし、その小さな存在にも余す事なく、
神様は愛を注ぎ、一人一人の魂を大切にされます。
どんなに小さい存在でも、大きな悩みや悲しみを抱え込んで
溺れそうな私たちでもあります。
それでも神様、あなたは私たち一人一人に丁寧に寄り添って下さいます。
そのようにしてくださる神様に心を向けて生きられますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

 

『しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。』マタイ5:22

 

おはようございます。
皆さんは「許す」ということの難しさと大切さを感じられたことはあるでしょうか。
「こんちきしょう、おまえなんか死んでしまえ。」と思っていた人が
本当に亡くなってしまったら、言いようもない後悔や後ろめたさが残ってしまう。
そのような思いをされた方もおられるかも知れません。
そのような思いは意識的であったとしても無意識であったとしても、
自分の心の中に残り溜まっていきます。

では、どうすれば良いのか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に書かれているように、
神様の前に出る前に気づけば良いのでしょうか?
それは私たち人間にはとてもとても無理なことです。
神様は無理をしてでもあなたの力でどうにかしなさいとはおっしゃいません。
「思い出すことがあれば、できるだけのことは神様の前に出る前にやりなさい。」
と神様はおっしゃいます。
でも、自分では思い出せずどうしようもないこともたくさんあることは神様もご存知です。
だから、そのような事がたくさんある自分さえも受け入れて下さる神様に
お任せする勇気をも私たちは必要です。

「許す」ということは和解することと同じ意味です。
自分との和解も、全ての人との和解も「許す」ことから始まります。
たとえ、自分では許すことができない、どうしようもないことがあったとしても
「私が許せない人や、許せない事があったとしても、
その人やその事をも神様、あなたがお許し下さるように祈りお委ね致します。」
と祈ることで、あなたが神様に赦されます。

これからの歩みが神様と共にあって、自分自身や人との和解の中を歩めますように。

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