聖書の家系図 ~名前と安心~

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マタイ1:16
​ ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
  
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

目が覚めて目を開いたら真っ暗なとき「夢かな?」と思い時計を見ると夜中だったり。私たちは24時間の時間の中で時を刻みます。「あっ、あと5分で遅刻だ!大変」とか「あの電車に乗らないと間に合わない」とか。まるで時計の刻む時間に追われているかのように過ごす時があります。しかし時計の刻まれることがなくなる時、「自由」「休む」と言うことが不安になります。そこにも必ず神様が共におられ私たち一人一人に、ふさわしい「とき」を与えて下さることを感謝します。

これから語られます神様あなたからのみ言、この語る者を通して神様あなたがお語りください。ここにおられるお一人お一人の心にある方々とも祈りを合わせ、この語る者の全てを神様あなたにお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってみ前にお捧げ致します。アーメン。

おはようございます。今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ1:16」は読んでいて、ホッとする箇所でもあるような気がします。なぜ、ホッとするのか。それはカタカナで書かれた名前の羅列がやっと終わるのもそうですがイエス様のお名前が出て来るということもあるのではないでしょうか。

この世にその人が存在したという証拠はいろいろな形で残されます。その一つに家系図というものがあります。私の家にも家系図があるのを見たことがあります。残念ながら女性である私の名前はありませんでしたが、父の名前や兄の名前がありました。どうして女性の名前が無いか、それにはいろいろな理由があって今ここで論じる問題ではないと思うので論じませんが、今朝ご一緒にこの聖書の箇所から聴きたいと思うこと、それは、名前を見て「安心」すると言うこと。それは私たちが何らかの形でその人に関わっていると言う事です。自分の父であったり兄であったり。

ではイエス様は?それは一人一人にとって違う関わりがあると思います。でも一人一人にとって無関係では無いからこそ、この系図にイエス様のお名前を見るだけで私たちは「安心」するのです。

イエス様は今も生きてお一人お一人と関わりを持ち共に歩まれておられます。

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