いつもあなたは一人ではない 

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エレミヤ1:4ー10
1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ/主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に/わたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに/諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために。」

 

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

「自分の呼吸を意識して下さい」と言っていた人がいました。
神様あなたに祈る時、私たちは何を祈ろうか、どのようにまとめて、
どのように語ろうかと迷う時があります。
呼吸のように意識しなくても、いつも祈りも共にあればいいのに、と願う時もあります。

しかし、いつも私たちが意識しなくても、
神様、あなたからの祈りは、私たち一人一人と共にあります。
「いつでも帰って来ていい」と待っていて下さる神様、感謝します。

これから語られますみ言、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、
皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。

アーメン。

 

『彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す』と主は言われた。エレミヤ1:8

おはようございます。

神様が共にいて下さるって、どのようなことなのだろうと、思いめぐらしている時、
電話のベルが鳴り、親戚の訃報を聞きました。
神様が共におられることって、一人ではないということなんだ。
それなら、今もおじさんは一人ではないってことなんだ。

そう思った瞬間、なんだかとても安心をし、次のみことばを思い出しました。

『主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない
あなたがわたしと共にいてくださる。。。』詩編23:1-4

私たち一人一人の人生は、いつも新しいことや、物、人との出会いの繰り返しであるような気がします。
「こんなはずじゃなかった」「何でこんなことが急に起こるんだ」
と思うような出来事を経験することは、少なくないのです。
私たちは生まれて来る時、誰が親を選べるでしょうか?
いろんな経験を与えられながら、この世の生活を終えます。

この世の生活を終えるその時や場所、理由でさえ私たちには選べません。
しかし、いつでも、どこでも、どんな時でも変わらず共におられる方がおられます。

それが神様です。

神様によって、造られていない存在はありません。
神様によって、愛され大切にされていない存在はありません。

だから、神様は全ての存在である一人一人と共におられます。
あなたと共におられる神様は、あなたがたとえ見えなくなって、
触ることができなくなったとしても、
あなたが見えて触れられる存在であった時と同じ神様なのです。
それは、あなたにとって大切な人、一人一人も同じです。

神様は言われます「あなたはいつも一人ではないよ。私があなたと共にいるから。」

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