詩編50編16節-23節
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
そして、神様あなたに心を向けてお一人お一人が
あなたを思い祈る今があることを感謝致します。
明日がある。今日がある。今がある。
これらは当たり前なのでしょうか。
決して当たり前ではなく、神様あなたから与えられる「時」であることを
感謝できますように。
私たち一人一人の心を、いろいろな思い煩いの中へではなく
神様あなたへと開かせて下さい。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
おはようございます。
「私はあなたを愛しています。」といきなり言われたら、
なんだか照れくさくなって、急にその人が気になったり、
「うっそー」と否定したくなったり、「本当?」と疑ってみたり
「ありがとうその言葉待ってたわ」と、いろいろな反応があるかもしれません。
では「あなたは私にとって一番大切な存在です。」と言われたらどうでしょうか?
この言葉は私たち一人一人に誰が言って下さるのでしょうか。
それは神様です。
「愛」という言葉には、親の愛や兄弟愛、友情と言われる愛のかたちや男女の愛、
たいていの愛はどこかで多少なりとも駆け引きがあったり、条件があったりします。
しかし、神様からの愛は無条件です。
そして全ての一人一人に関心を持たれてます。
無関心や無関係の間には注意すらもしません。
よく「ケンカするほど仲がいい」と言われるほど、
無関心や無関係の間には注意すらもされないことが多いのです。
だからと言って、愛しているから注意をするとも限りません。
一緒に生活もしてれば腹が立つこともあるでしょう。
しかし、どうでもいいと思って相手を注意するのと
信頼を持って相手を注意するのとでは違いがあります。
今朝、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の詩編50:23には
「わたしは神の救いを示そう」と詩が終わっています。
たくさん神からの災いや報いが詩われていますが、
全ては信頼されておられるからこそ、一人一人を愛されておられるからこそ、
神様からの忠告が詩われています。
神様は全ての一人一人を大切にされ、一人一人に無関心ではあられません。
なぜなら全ての一人一人を愛されておられるからです。