詩編40編8節ー12節
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
そして今、私たちはあなたに心を向けて、
お一人お一人の心にある一人一人と共に、み言に聴きます。
この与えられる時を感謝いたします。
私たちは「当たり前」という言葉で、なんと多くの物事を見過ごしてきたことでしょう。
今を生きていることも、笑ったり怒ったりすることも、
それら一つ一つは決して当たり前なことではなく、
神様、あなたから与えられるかけがえのない一つ一つであることを思い
感謝いっぱいで過ごすことができますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
おはようございます。
先日、住宅を紹介するテレビ番組の中で、ガラス張りにされたお風呂を紹介する場面があり、
なんだか嫌な気持ちになりました。
いくら誰も見ていないから大丈夫だよと言われても、
私はあまり入りたい物件ではありませんでした。
中には、「そういうところがあった方が開放的で好きだわ」
という方もおられるかもしれません。
私たち人間には、大きくても小さくても「隠し事」を持ってるのではないでしょうか。
それらが人を支えることも少なくありません。
人が見ていてもいなくても、悪いことをしてはいけないよ。
神様はちゃんと見ておられるんだから、と幼い頃に言われてた記憶があります。
実はもう一人、自分自身が、自分が悪いことをしていることを知る目撃者なんです。
しかし、本当に悪いことだったのか実はわかりません。
悪いと思っているのは自分だけかもしれません。
神様は全てをご存知です。しかし、愛の眼差しで一つ一つをご覧になられています。
決して一人一人のあら捜しをするためにご覧になられてるわけではありません。
監視するためでもなく、なんとなく見られておられるわけでもありません。
ただ、一人一人を大切に丁寧に見守られております。
一人一人と共に悲しみ、共に喜ばれるのが神様です。
神様に覚えられている存在であることを喜んで生きたいと思います。