神様に心を向けて

詩編37:7-22

37:7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
37:9 悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。
37:10 しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。
37:11 貧しい人は地を継ぎ/豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
37:12 主に従う人に向かって/主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが
37:13 主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。
37:14 主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り/貧しい人、乏しい人を倒そうとし/まっすぐに歩む人を屠ろうとするが
37:15 その剣はかえって自分の胸を貫き/弓は折れるであろう。
37:16 主に従う人が持っている物は僅かでも/主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。
37:17 主は御自分に逆らう者の腕を折り/従う人を支えてくださる。
37:18 無垢な人の生涯を/主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。
37:19 災いがふりかかっても、うろたえることなく/飢饉が起こっても飽き足りていられる。
37:20 しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる/献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。
37:21 主に逆らう者は、借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す。
37:22 神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる。

 

祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはあなたから与えられるたくさんの出会いの中で生かされています。
「今年の季節はいつもと違うなぁ」という言葉の中でも
「今までにはこんな寒さや暑さは経験したことがない」というような気持ちが語られています。
今の気持ちによって素敵な空に見えたり、
新しい自分を発見したり、人と出会ったり。
一つ一つが神様、あなたから私たち一人ひとりに与えられるかけがえのないものであることを感謝できますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

 

『無垢な人の生涯を主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。』

                             詩編37:18

 

おはようございます。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所、詩編37:7において
詩人はこのように語ります。
「沈黙して主に向かい,主を待ち焦がれよ。」と。
「沈黙して」と言われても何だかピンと来ないし、それは時と場合によるのではないかと思うのではないでしょうか?
でも心を主に向けていたいし、どうすればと思う方も少なくないと思います。

「沈黙する」とはどういうことなのでしょうか。
最近、多い病気の中で過呼吸という症状を起こす方が多いと聞いたことがあります。
息を吐くのを忘れて息を吸ってばかりいると過呼吸を起こす方もおられるそうです。
私は幼い頃ピアノを習ってました。
焦ると一拍休むところを半拍で進んでしまうらしく、ピアノの先生によく「一だけではなく一とう二とうと数えなさい」と言われたことを思い出します。
一だけでは息を吸うだけです。
しかし、「とう」を入れると息を吸って吐くことができます。
過呼吸も吐く事を忘れ吸い続けた結果であることが多いようです。
息を吐く時は落ち着きを必要とし、時にはゆっくりした時間も必要になります。
逆に長く声を出そうとしたら深く大きく息を吸い込みます。

「沈黙する」とは息を吐いて空っぽの自分にするということではないでしょうか。
空っぽの心をただ神様に向ける。
そうすれば神様に与えられる全てのものがあなたの体中に染み渡り溢れ出ます。
神様があなたから溢れ出た全てのものをお用い下さいます。

「主を待ち焦がれよ。」と詩人は語りますが心配はいりません。
あなたが神様を待ち焦がれるよりずっと何倍もの大きさで、神様があなたを待ち焦がれて待っています。
そのことに私たちはただ信頼すればいいのです。