心を高く
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
自分に立ち止まって、ゆっくり深呼吸をすることって、私たちは一日に何回するでしょうか。
今、生かされている自分は、たくさんのものに支えられているんだなぁって思う時は、どのくらいあるのでしょうか。私たちが忘れていたとしても、神様は「一人一人はかけがえのない大切な存在である」と慈しみをもって、いつも私たち一人一人のことを忘れないでいて下さいます。いつも私のことを慈しんで下さる神様に、心を向けられますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを、神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。アーメン。
『わたしの神よ、わたしを敵から助け出し/立ち向かう者からはるかに高く置いてください。』詩編59:2
おはようございます。
『わたしの神よ、わたしを敵から助け出し/立ち向かう者からはるかに高く置いてください。』詩編59:2 と詩人は詩(うた)い始めます。
「高い所に逃がして下さい。」って神様に願っているのなら、かえって敵から目立って見つけられてしまうのではないかと思い、いったい何をこの詩人は祈っているのかと、私は考えさせられました。
「待ってて下さったんだ。」先日、亡くなった方と最後になったひと時を、一緒に過ごしたその方の姿勢を思い起こすと今、私が思う想いです。
共に神様へ心を向ける時を持つために、いつものようにお部屋にノックをして入室しても、いつもはベッドに仰向けになられたままだった方が、その日に限ってベッドに座られてました。
「トイレに行かれるんですか?」と聞いた私に、「いいえ」と言われただけでしたので、そのまま共に祈り、聖書に聴き、賛美をし、祝福をさせて頂きました。
次の訪問日、お部屋に伺おうとしたら、いつもは閉められていない部屋の鍵が閉められていて、もうその方は亡くなってお部屋にはおられませんでした。
いつもの習慣でお部屋を訪問し、その方の態度を理解しようとすると、「何でだろう」とわからないことも、祈りをもって神様と共に考える(想う)と、「そうだったんだ」と教えられることがあるのではないでしょうか。
「トイレに行きたかったのですか?」「どうしたんですか?」という思いから、「待ってて下さったんですね。」「ありがとう。」と私の想いが変えられたように。
今、与えられたみ言を詩っている詩人は、神様に「自分を敵から高い所へ逃がれさせて下さい。」と祈っているのではなく、「どんなに敵の迫って来る中でも、神様へ私の心を高く向けさせて下さい。」と祈っているのではないでしょうか。
いつも共にいて下さる神様に心を高く向けていられるように、神様はいつもあなたの心を支えて下さいます。