わたしはここにいます

マルコ14:43-54

14:43 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。 14:44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。 14:45 ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 14:46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 14:47 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。 14:48 そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。 14:49 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 14:50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
14:51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、 14:52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。
14:53 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。 14:54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。

 

祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
目覚めを感謝したり、今日を与えられていることを感謝したり、
今出会う一つ一つのことに感謝したり。
私たちにはたくさんの「ありがとう」を言うことが許されています。
今、与えられている全ての恵みに不平や不満を言うのではなく、
感謝の思いを持って「ありがとう」と一回でも言える私たちにして下さい。
神様、あなたが私たち一人一人に与えてくださる一つ一つの恵みは、
愛に満ちあふれています。

これから語られますみ言、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

 

『わたしは毎日,神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」』マルコ14:49

 

おはようございます。
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果に
びっくりしたことや後悔したことはありませんか。
私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。
自分がこのように行動していこうと希望を持つことは、
相手がこう行動するだろうと期待してしまうのとは違います。
自分自身の希望に向かって自分が行動することと、
自分の希望のために相手の行動まで期待するのは違うということです。
神様は私たち一人一人を、ご自分の希望通りに操ろうとして
生かしておられるわけではありません。
一人一人が自分の意志で神様と共に生きていくことを望まれておられます。

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においても、
イエス様は神様と共に生きられることを選ばれました。
これから起こるであろう痛みや苦しみ、悲しみから逃れることでも、
ユダや弟子たちが期待する結果でもなく、
神様と共に生きる道です。
誰が強制したわけではなく、ご自分で選ばれました。
私たち人間一人一人が神様と共に生きる道を開くためです。
イエス様と共に生きる道を私たちも選ぶことができます。
人に期待するのではなく、自分自身が神様と共に生きる命の道が用意されているのです。

お一人お一人に与えられている命の道を、
イエス様と共に一歩一歩、自分らしく歩まれるように、祈りつつ。