いつも大切にしてくれてありがとう

 詩編32:1-5
32:1 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。 32:2 いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。 32:3 わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。 32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ 32:5 わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

いつ、どこで目覚めを迎えるのか。たとえいつものように眠りにつき、いつものような目覚めを想像しながら眠りについたとしても、いつもと同じ目覚めはありません。神様あなたから私に与えられる恵みは一瞬一瞬、丁寧に一人一人へと与えられます。平凡は奇跡だと、当たり前は恵みであると、感謝できる私でありますように。これから語られますみ言、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心に在るお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。アーメン。

『。。。わたしは言いました。「主にわたしの背きを告白しょう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。』詩編325

 おはようございます。「あなたは大切な存在です。」

 私を「あなたは大切な存在だ」と言って下さるのは誰でしょう。それは神様です。神様は私を捨てたりしません。神様は私から離れたり裏切ったりいなくなったりしません。神様は変わることなく私と共にいて大切にして下さいます。それは神様がお造りになった全てを大切にされておられるからです。

 今ご一緒に聴きました聖書の箇所において、詩人は『いかに幸いなことでしょう。』詩編321と詩い始めます。「なんて幸せなんでしょう、ありがとう」と詩い始めるのです。それは、どんな私でも神様は一人一人を造られた方だからこそ一人一人を大切にされておられるからです。

 『主にわたしの背きを告白しょう』とは「私は神様に造られ大切にされているということを忘れて生きていたことを思い起こそう」と詩っているようにも思えます。

 罪と表現されている言葉は、神様から逃げる、すなわち自分が造られた存在であることを忘れて生きることでもあるのです。

 私たちは神様に造られ、神様から命を与えられ生かされています。神様に命を与えられ今を生かされていることなんていつも思い続けることなんて難しいこともあります。生かされていると言われてもピンとこないかもしれませんが、あなたは神様にとって大切な存在として生かされています。たとえ生かされている命を忘れて生きていても神様は怒りません。神様はそれでもあなたという存在を大切にされるのです。「こんな私が生きてていいの?」と問いかけたくなったり「どうでもいい」と生きることさえ面倒になったりするときもあるかもしれません。それでも神様は「あなたは私にとって大切なかけがえのない存在である」と赦し、一人一人に命を与えて下さいます。あなたは神様に命を与えられるかけがえのない存在です。あなたは神様に赦され今を生かされています。