いつもあなたは一人ではありません

ヨハネ13:31-35
31さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。32神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。33子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

祈り)天の神様、私たち全ての一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

私が今、出会う一人一人の方も一つ一つの物も一瞬一瞬の時も神様あなたから与えられているかけがえのない恵みです。今それらを感じる心、全てに向き合う勇気、そして私に与えられている命も、神様あなたから与えられているかけがえのない大切なものです。神様あなたから与えられている一つ一つの恵みは数え切れないほどたくさんありますが、神様あなたは一つ一つを丁寧に私たちに与えて下さいます。神様あなたに心を向けて一つでも多く感謝ができますように。これから語られますみ言、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心に在るお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。アーメン。

『あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』ヨハネ13:34

 愛の反対語は無関心です。と言われた方がいました。ふーん憎しみじゃないのか。と少し思いました。

 日常の中、ただ自分が歩く時に踏んでいる土は関心を向けると温もりを感じさせてくれたりします。あまり気にしなかったそこらへんに生えている草や花も関心を向けると、やさしく微笑んでいるように感じたり一生懸命生きているように見えたりします。そうです、生きているものや人を通して神様があなたを、そして私たち一人一人を愛して下さっておられることを感じることができます。私だけが神様に愛されていればいいのでしょうか?私だけが神様に愛されているのでしょうか?いいえ、どちらも違います。あなたが関心を寄せれば、あなただけではなくあなたに関心を寄せられる一人一人も神様に愛されていることを感じることができるのです。じゃあ憎んでも神様からの愛を感じるわけ?そうです、たとえそれが憎しみという関心であっても、神様はその憎しみを愛に変え、憎しみによって傷ついたあなたの心も、憎まれる相手の人の心も神様は愛で包んで下さいます。

 『互いに愛し合いなさい』と聖書からみ言は語られます。

あれ、私はいつも一人ではないんだ。と思いました。「人を愛しなさい」でも「自分を愛しなさい」でもなく『互いに愛し合いなさい』と神様は言われているのです。「愛し合う」ことは一人ではできません。

たとえ私が、自分自身でさえも愛せなくて憎んでしまう時があっても、そのようなあなたをそのまま神様は愛して下さいます。

 神様は言われます。「あなたは決して一人ではない。私がいつもあなたを愛しているから。」