ルーテルアワー聖書通信講座 人生の悩みに答えるキリスト教入門

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。今を与えられていることを私は喜んでいるでしょうか。「今日も雨か」「うっとうしいな」とか時には「今日の雨で紫陽花が喜んでいるみたい」とか。でも私たちはいつのまにか季節がやってくるのが当たり前に感じています。「日本て梅雨があっていいな」と海外に住む知り合いに言われ季節の豊かさに気付くように私たちは神様あなたから与えられる一つ一つの恵みによって今を生かされています。その一つ一つに感謝できますように。これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと、そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

 おはようございます。「イエス様って十字架に掛かられて亡くなってから葬られて三日後に復活されて今も生きておられるんですよね。これって本当なのかしら。教会ってずいぶん不思議なことを信じている人たちの集まりなのね。」と言われたら正直私も「そうかもしれませんね」と言うかもしれません。しかし「あなたは今生きてますよね」と言われて「あなた、ずいぶん不思議なこと言われるのね」とは多分,多くの人は答えないのではないでしょうか。時々、私も自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなったり自分が生きていることさえも否定したくなることがあります。
しかしあなたは今,神様に生かされています。
 今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の中のローマ5:8の中で『しかし、まだわたしたちが罪人であったとき』とパウロは語っています。パウロはもう罪人ではないのでしょうか?これからは全く悪いことはしないのでしょうか?自分がわからないところで悪いことをしてもそれはいいのでしょうか?いいえ、それら一つ一つを数えて意識することすらパウロにはできません。そのことはパウロ自身が一番知っています。それならば、なぜ「罪人であったとき」と言い切れるのか。それは自分が今,生きていることそれ事態が神様によって赦されていなければ生きられないということを知ったからです。「まだ自分が罪人であったとき」とは「罪赦されて神様に生かされていることを知らなかったとき」と言うことなのです。私にはそんな時がいつ来るのかしら?と心配される必要はありません。神様が一人一人に合った「時」を備えて下さいます。
それは今なのかもしれません。