ルーテルアワー聖書通信講座 人生の悩みに答えるキリスト教入門

マルコ15:33-41 新)P96

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはたくさんの命の中に生かされて今があります。
一瞬のように花を咲かせて散って行く花や、やっと芽を出してこれから咲こうとする花、
あれ、こんなところにもあったんだと道ばたに咲く花に思わず笑顔になるときもあります。その時の自分の気持ちが写るような時も心を救ってくれるように見える時も神様あなたから与えられているものは今の自分を責めるようなことはなく一人一人を見守り包んで下さいます。神様あなたから与えられている、かけがえのない今を感謝して生きることができますように。これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へとそしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。アーメン

おはようございます。「本当にこの人は神の子だった。」とご一緒にお読み致しました聖書の箇所マルコ15:39で百人隊長と呼ばれていた人の言葉として語られます。
 今、聖書から聴いているあなたには、どう語られますか。
「何を今更言ってるんだ」とか「あら、この言葉には注目しなかったわ」とか「ふーん死んでからわかったんだ」「どうして今わかるんだ」とこの箇所を聴く方の数だけ反応があり、思うことも違うのだと思います。それでいいと思います。だって間違えなく今あなたのためにキリストは十字架につけられ、十字架上で息を引き取られたのです。
 たった一度だけのキリストの死、でも全ての一人一人のための死であり命の証しです。終わりではなく初まりです。
 時々こんなことを思う時があります。「苦しい、どうして私は生きているんですか。殺して下さい。」死は終わりなのでしょうか。苦しみからだけ、ただ解放してくれるのが死なのでしょうか。死んだらどうなるの?と思う時もあるでしょう。しかし、今、私たちが共に聴いた聖書の箇所で語られます。
 「例え、 あなたが死んでも神の子イエスキリストはあなたと共におられます。」
 今この世界に生きている私たち一人一人と共におられるキリストは例えこの世的には死を迎え見えなくなった私たち一人一人とも共におられます。