ルーテルアワー聖書通信講座 人生の悩みに答えるキリスト教入門

マルコ14:43-52 新)P93

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。天気予報やニュースで桜の開花の発表もされて何だか陽の光も空の色も春を感じさせてくれます。そして今の季節はたくさんの別れがあり、新しい出会いも私たちに与えられます。それら一つ一つに私たちは悲しみを覚えたり喜びを感じたりさまざまな思いをし心動かされます。
しかし、神様あなたとの出会いはたくさんの何かを通して与えられますが、決して神様あなたと別れることはありません。例え私自身はうっかりあなたを忘れてしまうことがあっても神様あなたは私を忘れないからです。ありがとうございます。これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へとそしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。アーメン

 おはようございます。「えっユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみ言に出会われる方も「そんなにイエス様っていつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くためにユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。でもイエス様は言われます「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、。。。」14:48.49と続きます。「聖書の言葉が実現するためである。」とも続けられています。イエス様は逃げも隠れもしていません。
 ならばイエス様は何を大切にされておられたのでしょう。それは神様の御心です。「聖書の言葉が実現するためである。」と言うのは「神様の定められる時を大切にされる」ということでもあります。
 ユダもイエス様を大切にしてました。しかしユダが大切にしていたのはきっと神様の御心に従われるイエス様ではなく、奇跡を起こされてユダ自身が考える英雄であるイエス様だったのかもしれません。だからイエス様を捕らえようと構えている人々に合図をすると言うように自分が合図するまではイエス様に手を触れない。という決まりを作ることでイエス様に「捕らえに来ました。逃げて下さい」と合図を送ったようにも感じ、もしかしたら自分も祈ったり願うとき、ユダと同じことをしてしまっているのかもしれないと感じました。
 ユダの合図も空しくイエス様は捕らえられて行きます。しかし、イエス様は従われます神様の御心に。イエス様を捕らえた群衆や兵士たちではなく神様の御心にイエス様は従われます。神様の御心それは私たち一人一人が神様に大切にされていると言うことを私たち一人一人がイエス様との出会いを通して思い起こすことができるようになのです。
 神様の御心のままにこの身になりますように。